The Yardbirds(ヤードバーズ)
エリッククラプトン、ジェフベック、ジミーペイジがいたバンド!
ジミー・ペイジ(ベースのちギター、4代目)
■Jimmy Page ジミー・ペイジ(ベースのちギター、4代目)
ジェームス・パトリック・"ジミー"・ペイジ OBE(Jimmy Page, 本名James Patrick Page OBE 1944年1月9日 - )は、イギリスのロックギタリスト、作曲家、プロデューサー。エリック・クラプトン、ジェフ・ベックとともに3大ギタリストと呼ばれる。 当時の音楽ジャーナリズムからは「1970年代のパガニーニ」と形容され、世界で最も成功したロックバンドの一つであるレッド・ツェッペリンのギタリスト兼リーダー。レコード、ステージなど全般のプロデュースも担当した。イングランドロンドン出身。 ローリング・ストーン誌の2003年8月号のカバーストーリー「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」に於いて第9位[1]。
ヒストリー
1960年代前半、ロンドンのリッチモンドで人気のあったナイトクラブ「クロウダディ・クラブ」で、プロデビューしたローリング・ストーンズの後釜で演奏を始めたのが彼らヤードバーズである。当時のマネージャー、ジョルジオ・ゴメルスキーによると、悪ガキっぽいイメージのあったストーンズとは一味違ったスタイルのバンドを、クロウダディの舞台に立たせたかったという。
<最初期(1962-1963年) >
* キース・レルフ(ボーカル、ハープ)ロンドンのリッチモンド出身
* ジム・マッカーティ(ドラムス)
* ポール・サミュエル=スミス(ベース)
* クリス・ドレヤ(リズムギター)
* トニー・トップ・トーパム(ギター)
当初は、このメンバーで活動を開始。この時代からクラプトン脱退までは、純粋なリズム・アンド・ブルースなどのカヴァーを志向するバンドであった。 しかし、リードギターのトーパムが両親の反対を理由に、間もなく脱退する。 そして、レルフの友人であったエリック・クラプトンがリードギターとして加入した。
<クラプトン時代(1963-1965年)>
* キース・レルフ(ボーカル、ハープ)
* ジム・マッカーティ(ドラムス)
* ポール・サミュエル=スミス(ベース)
* クリス・ドレヤ(リズムギター)
* エリック・クラプトン(ギター)
この当時の空気を伝えるのが、彼らのファーストアルバムにしてライブ盤の『FIVE LIVE YARDBIRDS』である。メンバーは全員ダーク・スーツ。そしてスローなブルースのカバーをハイテンポかつ大音量で、そして1曲を30分近くかけて演奏するという独特なスタイルであった。 また、アメリカのブルースマン、サニー・ボーイ・ウィリアムソンのライブの伴奏も務め、アルバムも発売された。ライブでは人気のあった彼らだが、発表するシングルはブルースのカバー曲がほとんどで、しかも彼らのスタジオセッションはライブよりも大人しい音になってしまうのも相まり(ファーストアルバムがライブ盤となった理由もそこにあったようだ)、ヒットに恵まれているとはいえなかった。やがて、ジョルジオ・ゴメルスキーとメンバーはヒットを渇望し、チェンバロをイントロに導入したポップ志向の曲『For Your Love』を録音した。しかし、より純粋なブルースを志向していたクラプトンはそんな彼らと対立し、ブギ風のパートを渋々弾いてはいたが、それ以外はスタジオのベンチでふて寝をしていたという。それをきっかけにクラプトンはバンドの脱退を決意する。だが皮肉にも『For Your Love』は商業的に大ヒットする。
<ベック時代(1965-1966年)>
* キース・レルフ(ボーカル、ハープ)
* ジム・マッカーティ(ドラムス)
* ポール・サミュエル=スミス(ベース)
* クリス・ドレヤ(リズムギター)
* ジェフ・ベック(ギター)
強力なギタリストを失った彼らは、セッション・ギタリストとして名を馳せていたジミー・ペイジに声をかける。しかしペイジは、学友であったクラプトンを気遣うのと、セッションの仕事の方が忙しいため、代わりに推薦したのが幼馴染みのジェフ・ベックだった。 ベックは名声欲しさに即参加。彼はブルースもさることながら、ポップな感性や斬新な奏法も持ち合わせていたのでバンドとは利害が一致した。ファズを効果的に使用したポップソング『Heart Full Of Soul(ハートせつなく)』を皮切りに、『Train Kept A Rollin'』(「ブギウギ列車夜行便」という邦題でも知られる)といったハードロックの基礎となる曲を世に知らしめた。しかし、マネージャーのゴメルスキーとビジネス絡みで不仲になり、バンドはサイモン・ネイピア・ベルという人物を新しいマネージャーとして迎えた。アルバム『Roger The Engineer』はネイピア・ベル体制の下、僅か5日という期間で制作(スケジュールの都合ではないらしい)された。以前のR&B色は薄まり、当時の世相を敏感に感じていたメンバーのアイデアをふんだんに詰め込んだ、ポップな内容となっている。メンバーごとに担当を分担しているのも特徴で、詞をレルフが書き、プロデュースはサミュエル=スミスが(これが彼にとってのアルバム初プロデュースで、のちにプロデュース業へ転向させるきっかけとなった)、ライナーノーツをマッカーティが、ジャケットのイラスト、デザインをドレヤが手掛けている。そしてベックのフィードバック奏法は本作の目玉となった。
<ベック・ペイジ時代(1966年)>
* キース・レルフ(ボーカル、ハープ)
* ジム・マッカーティ(ドラムス)
* クリス・ドレヤ(ギター、のちベース)
* ジミー・ペイジ(ベース、のちギター)
* ジェフ・ベック(ギター)
又ここで大きな転機が来る。連日のライブ活動や全米ツアーなどに嫌気がさしていたサミュエル=スミスが、以前から興味のあったプロデュース業に転向するという理由で脱退した。優れたベーシストだったサミュエル=スミスに抜けられたのは痛手だった。そこでベックはペイジをバンドに迎え入れることを提案。ペイジは快く参加した。そしてベースをドレヤに持たせ(1週間ほどペイジがベースを弾いていた)、ツインリード編成にして立ち位置を左右にすることでステレオ効果を発揮。今までよりも更に攻撃的な『Happenings 10 Years Time Ago(幻の10年)』『Psycho Daisies』そしてミケランジェロ・アントニオーニ監督の映画『Blow Up(邦題:欲望)』の挿入歌として使用された『Stroll On(「Train Kept A Rollin'」の替え歌)』の3曲が作られる。バンド自体も出演した「Blow Up」は、本来ザ・フーが出演する予定だったが、都合でヤードバーズに変更された。この映画はベック・ペイジ体制の数少ない貴重な映像としても知られている。劇中では、ベックがギターを壊す演技をするシーンがある。このパフォーマンスを気に入ったベックは、当時のライブで盛んにギター壊しを行っていたという。しかしこの体制は数ヶ月と長続きせず、ベックがライブを欠席する機会が増えていった。メンバーとの不仲(レコード・コレクターズ誌上でのネイピア・ベルのインタビューによると、当時のメンバーの仲は最悪であったという)にストレスを溜め、アメリカでのツアー中に体調を崩したり、アメリカで知り合った女性と遊んでいたなどといわれている。そしてついにベックはある日、ペイジに「俺は辞める」と言い残し、バンドには二度と顔を出さなくなった。公的には「扁桃炎を患ったために脱退」とされた。
<ペイジ時代(1966-1968年)>
* キース・レルフ(ボーカル、ハープ)
* ジム・マッカーティ(ドラムス)
* クリス・ドレヤ(ベース)
* ジミー・ペイジ(ギター)
ペイジ時代は良くも悪くも一番長続きした時代である。ペイジはベック抜きで時々演奏していたため、そのまま4人体制でいけると判断。そしてハーマンズ・ハーミッツのプロデューサーだったミッキー・モストのプロダクションに移籍。マネージャーのネイピア・ベルもベックを追う形で辞め、後任はペイジと旧知のピーター・グラントになった。この時ネイピア・ベルは「メンバーの中に凄く頭の切れる奴がいる…ジミー・ペイジさ」とグラントに話したという。ペイジはセッション時代に培った豊富なアイデアを持ち、より実験性の強いサウンドを推し進めていったが、当時のプロデューサー、ミッキー・モストやピーター・グラントは、ポップ志向の強い楽曲をレコードにすることをバンドに強要した。そして、その影響が顕著なアルバム『LITTLE GAMES』がアメリカのみでリリースされる。この頃、バンドはイギリスでの人気は落ち目であった。しかし海外ではまだ需要があったため、アメリカやヨーロッパ各国を回るツアー三昧の日々が続いた。ライブ演奏を楽しんでいたペイジをよそに、他のメンバー達は意欲を失いつつあった。レコード・セッションにも参加せず(させてもらえなかった?)、マッカーティはドラッグ漬けで時折演奏不能に陥ったり、元々低めな声のレルフは、ラウドになってゆくバンドのサウンドに付いて行けず声が破綻寸前だった。解散後に発表されたライブ盤『LIVE YARDBIRDS FEATURING JIMMY PAGE』は、そんな状況をしっかりと刻んでいる(後のレッド・ツェッペリンの初期のナンバー『Dazed And Confused』も歌詞以外ほぼ同じに演奏されている)。 そして、『Goodnight Sweet Josephine』『Think About It』のシングルを発表。1968年7月7日のラトンでのコンサートを最後にレルフとマッカーティは脱退しアコースティック・デュオを結成。ペイジはテクニックとスター性を重視しスティーヴ・マリオットとスティーヴ・ウィンウッドに交渉するも失敗、その後ドレヤとペイジは同じミッキー・モスト・プロダクションにいたテリー・リード(vo.g)とプロコル・ハルムのB.J.ウイルソン(ds)をメンバーに誘うが、テリーには自らのバンドのアメリカツアーが決まっていたため断られ、ウイルソンにはプロコル・ハルムが成功しているとして断られた。ドレヤは写真家になるべく脱退。残されたペイジはセッション仲間だったジョン・ポール・ジョーンズと組みバーミンガム出身で無名のシンガーロバート・プラント、その仲間のドラマージョン・ボーナムを加え[[ニュー・ヤードバーズこと、『レッド・ツェッペリン』を始動させるのである。
<その後のメンバー達>
キース・レルフは妹やジム・マッカーティと共に、ルネッサンス、アルマゲドンなど様々なバンドを起こしたが、1976年、自宅でエレキギターを使って作曲の最中に感電事故で死去。
クリス・ドレヤは写真家に転向。レッド・ツェッペリンのファーストアルバムのジャケット裏写真を撮影している。
ポール・サミュエル=スミスはプロデューサー業に転向。レルフらのバンドのプロデュースを含め、 様々なアーティストのプロデュースも行っている。
また、マッカーティ、ドレヤ、サミュエル=スミスらは1985年に『ボックス・オブ・フロッグス』(ペイジ、ベックもゲストで参加)として再結成。ボーカルにはジョン・フィドラーが参加。2枚のアルバムをリリースした。
アルバム
■アルバム
* FIVE LIVE YARDBIRDS(1965年)
ライブ音源だが、事実上のファーストアルバム。後年リリースされたものには、NGの箇所をノーカットで収録したものも存在する。
* FOR YOUR LOVE(1965年)
シングルからの楽曲を収録したアルバム。
* Sonny Boy Williamson & the Yardbirds(1966年)
ブルースマン、サニー・ボーイ・ウイリアムスンのバックをバンドが務めたライブ盤。レルフは未参加。
* HAVING A RAVE UP(1966年)
当時の新曲を含む、米独自で作られたベスト盤。
* YARDBIRDS(1966年)
通称『ROGER THE ENGINEER』。バンドとしては最初に作られたスタジオセッションアルバム。ステレオ盤とモノラル盤が存在し、それぞれ同じ曲で違うテイクが数曲存在する。CDリリースの際にこれらのテイクが全て収録された。
* Blow-Up(邦題:欲望)(1966年)
同映画のサウンドトラックアルバム。B面1曲目に「Stroll On」を収録。この曲以外はハービー・ハンコックの作品。本来この映画では「Train Kept A Rollin'」を演奏するはずであったが、同曲の権利を保有する音楽出版社が多額の利用料を請求して来たため、やむを得ず替え歌として発表したのがこの「Stroll On」である。
* LITTLE GAMES(1967年)
ペイジ体制になって作られたアルバム。ミッキー・モストのプロデュースによるポップ指向が強い内容。ペイジによるギターの弓引き奏法や、ギターをシタールと同じ調律で演奏した「White Summer」など、ペイジの後のキャリアの原点を見て取れる。当時は米のみで発売され、英では1985年になってから発売された。また、1992年には、アウトテイクやアルバム未収録曲、解散後のレルフ・マッカーティのデュオ「トゥゲザー」の楽曲などを含む、2枚組のリマスター版「Little Games Sessions & More」がリリースされている。
* LIVE YARDBIRDS FEATURING JIMMY PAGE(1971年、1976年)
1968年5月、ニューヨークで行われた解散間際のライブ音源。ペイジの意向で発売後10日間程で回収されたいわく付きのアルバム。ペイジの発言によると、ライブ当日のエンジニアは「エレクトロニクスを使えば何でもできる」と言い、ドラムセットの上にマイクを吊るなど目茶苦茶なセッティングを施されたという。そのため、バスドラムの音が聞き取りにくくなってしまっている。更には演出のため、闘牛場の歓声を故意にミックスされている。本作は、ブートレグが多く出回った。ブートレグであるにも拘らず、元メンバーのインタビューがライナーに掲載されたこともあるという。また1976年には、コロムビア・レコードから本作の会員向け限定盤が配布されている。
* YARDBIRDS…ON AIR(1991年)
BBCライブセッション。ベック、ペイジ時代の音源を中心に収録。同内容のタイトルだけを変えたCDが幾度か再発売されている。
* Cumular Limit(2000年)
2枚組。主にペイジ時代の未公開セッションやライブ音源などを収録。2枚目には当時のライブ映像が収録されている。
* BIRDLAND(2003年)
35年振りの新作。マッカーティ、ドレヤを中心にジョン・アンダン(V)、アラン・グレン(H)、ジピー・メイヨ(G)が参加。全15曲の内、過去の8曲を自らカバーした。ジェフ・ベック、スラッシュ、ブライアン・メイなどのゲストミュージシャンが参加。15曲目の「An Original Man (A Song For Keith)」は、キース・レルフに捧げられた曲。